Storyストーリー
1986年12月17日。私たちの出発点は、東村山市にあるワンルームマンションでした。
仲間と共に机と椅子を並べた、オフィスとは呼び難い空間。ここから始まるのは、建物サービス業界に付きまとう3K(きつい・汚い・危険)のイメージを払拭するための奮闘物語。
その道中には素晴らしい人々との出会い、そして厳しい試練もありました。
ノウハウや人脈をもたず、業界の常識さえ知らない身一つの私たちにできることは、ただひたすら走り続けることだけ。
思い返すと本当に無謀な挑戦でした。当然周りからは制止され、時には羽交い締めを受けたことも。それも今となっては良い思い出です。
もしあの時足を止めていたら、きっと今ほど素晴らしい人々と巡り会えなかったでしょう。
ゼロからの始まりでしたが、何もない状態だったからこその今があると信じています。
業界の常識に疑問を持ち、3Kのイメージを払拭する。そのためにがむしゃらに経験を積み、苦労を重ね、試行錯誤を繰り返す。
そんな泥臭くも力強く歩んだ道のりを、少しだけご紹介します。
株式会社DPG
代表取締役社長 西 貴志
外食業界から一転、
建物サービス業界へ
「建物サービス業界をもっとクリーンなイメージにしたらどうなるだろう?」
そんな思い付きを持ったのは、私がまだ20代の頃。外食業界に身を置いていた時のことです。
当時の建物サービス業界に定着していたのは、クリーンとは真逆の3Kのイメージ。
それでも自分の親ほど歳の離れた方々が一生懸命に清掃してくれていました。
一方、私が勤めていたレストランには、たくさんの女性スタッフがウェイトレスとして働いていました。かわいい制服を着て笑顔でお客様をもてなす。そんなクリーンで爽やかなイメージが働く若い女性のハートを掴んだのでしょう。
そこで思い付いたのが、建物サービス業界に付きまとう3Kのイメージの払拭です。
もっと明るく、もっと爽やかに、もっとクリーンなイメージを定着させる。
そうすればこの業界の光を多くの方々に周知してもらえるはず。
この思い付きがきっかけとなり、一切の知識やノウハウを持たないまま、建物サービス業界に飛び込みました。
建物サービス業界は暖簾分けをして独立するのが当たり前な時代。そんな業界の常識も知らないまま、夢と希望、仲間、そして外食産業で培ったホスピタリティ精神を頼りに、3Kのイメージに立ち向かうことを決意しました。
初仕事で気付かされた
いくつかのこと
初めて仕事の依頼をいただけたのは、私の行きつけの美容院でした。
しかし、参入したての私たちにはお金がなく、清掃に使う道具や車の準備も整っていない最悪の状態…。そんな時に手を差し伸べてくれたのが、仕事を教えていただいた方々でした。この時改めて気付いた、人や道具に対する“感謝の心”の大切さは今でも私たちの原点です。
おかげさまで準備も整い、現場へ駆けつけることができました。営業時間の終了に合わせて、清掃作業をスタートさせます。あちこちに落ちている髪の毛、わずかなホコリも見逃すまいとしていると、作業は夜通し続きました。
そして翌日、お客様から一本の電話が。その内容は「こんな仕事じゃお金は払えないよ」という厳しいお言葉。私たちはすぐに現場へ飛び、清掃作業をやり直しました。
この時気付いたのが、“建物サービス業界はクレーム産業”だということ。それと同時に、“お客様が本当に求めている事は何か?”を常に考える必要があると気付いた瞬間でした。
原点は外食業界で
培ったホスピタリティ
キレイかそうでないかは、人それぞれの主観です。この主観と客観のギャップを埋めるために、まず取り組んだのが“お客様満足度チェック”でした。
清掃に入った次の日にお客様へ電話し、清掃の感想をヒアリングします。お客様からフィードバックを頂くスタイル。それは当時のビルメンテナンス業界では、全く新しい試みでした。この発想の原点となるのは、過去の外食業界での経験。食事を終えたお客様に「お味はいかがでしたか?」とお声がけしていたことからです。
こうしたお客様の潜在ニーズを探る取り組みは、業界内やお客様の間で一気に口コミが広がりました。
独自のアプローチで
業界に新風を
過去の経験を振り返り、時代やお客様が本当に求めているものを探るため、これまでに様々なアプローチを行ってきました。
今から30年以上前、某ファッションビルの清掃案件を受けた時。
人手不足が常の業界で私が提案したのは、女性が働きやすい環境に注力した“掃除のお姉さん”です。お洒落なユニフォーム、きちんとしたマニュアル、最新の掃除用具を取り入れ、人材募集を開始しました。すると、どうでしょう。若い女性の応募が殺到したのです。外食業界に比べて時給も良く、お洒落で整った環境が魅力的だったのかもしれません。
もう一つは、某テーマパークの清掃コンペティション。
大手企業が様々なプレゼンでしのぎを削る中、私たちが提案したのは“ニオイ”に着目したアプローチでした。それは、無くすべき“臭い”と残した方が良い“香り”の選定です。全天候型の施設では“ニオイ”が問題になると予測したこの試みは、見事にクライアントの心を射止めることができました。
これらの独自のアプローチは、業界内でも「変わったヤツがいる」と噂になりました。なにしろ、ほとんど無名である私たちが、挑戦と実績を重ねて行くのですから…。それは私が27歳の時でした。
孤立無援の身に響く、
人と人との繋がり
新たなステップを踏むため、東京中心部も含め多摩地区へ舞台を移しました。
この舞台で学んだのは、人と人との繋がりの大切さ。そんな当たり前のことを改めて認識させられる、素晴らしい出会いがたくさんありました。
展開するのは地域密着型の建物サービス。“ストリート開拓”と銘打ったこの事業は、通り沿いにある全てのビルの清掃を引き受ける、とても大がかりなものでした。1件のご契約をいただくと、隣のビルのオーナー様を紹介していただけるようにお願いします。そして、ご紹介いただいた方には、特別な価格でビルの清掃をご提供していました。
当時は良い発想だと思えましたが、私たちは地元では全くの無名。人脈も実績もまだまだ少なく、悪戦苦闘の日々が続きました。しかし、私たちの熱意が伝わると、徐々に地元の方々は受け入れてくれます。嬉しいことに、最終的には駅前のメインストリート沿いにある、全てのビルの清掃をお任せいただけました。時には地元の農家さんと仲良くなり、そのご縁がきっかけで仕事を受注できるという出会いも。
このように、人と人との繋がりを辿ることで、無謀とも思えた挑戦を成功させることができました。当時ご縁のあった方々とは、30年以上経った今でもお付き合いは続き文通のやり取りをさせていただいています。
人脈ゼロ。ノウハウもゼロ。そんな状態で参入した建物サービス業界。
その道のりの中で見えてきたのは“業界の常識=お客様の非常識”だということです。
例えば、他社の業務仕様書に目を通した時。業界のことをある程度知っていれば良いのですが、お客様目線で見ると内容がわかりづらいと感じました。
そして複数社のものを見比べても、どれも似通った内容。どうやらこれが業界の常識となっているようです。
このような業界の常識を覆すために、私達グループ会社が目指しているのは“提案型”の建物サービスソリューション会社です。
培ってきたホスピタリティと独自性による、お客様目線を追究したご提案。
ご提案に対してお客様からフィードバックをいただくことにより、私たち自身も磨かれて行きます。そして、ゼロから始まったからこそ可能なアプローチで、3Kのイメージが付き纏う業界をカスタマイズします。
これまでの道のりを無事に走り抜けられたのは、声援を送っていただけた皆様のおかげです。
今後も人と人との繋がりや御縁を頂いたことを原点とし、その御縁を忘れずに走り続けます。